records
同じ悩みを抱える選手たちの希望に
福岡ソフトバンクホークス島袋 洋奨投手
- Teaching period
- 大学4年生~現在に至る
群馬ダイヤモンドペガサス北方 悠誠投手
ウイニングボール 代表松尾 祐介
興南高校3年時に甲子園春夏連覇の偉業を達成し、ルーキーイヤーの2015年は一軍デビューを果たした島袋洋奨投手。福岡ソフトバンクホークスで1年間ともに汗を流し、今季からは新天地での活躍を目指す北方悠誠投手。同じ苦しみを味わったからこそわかり合える2人の胸の内と、それを克服するために出会ったパワーライントレーニングのことを語っていただきました。今回はウイニングボールの松尾代表も交えた3人のスペシャル対談です!
聞き手:株式会社フォグランプ 橋本祐介
CHAPTER 01.それぞれの目標に向かって歩き出す2016年。
- 聞き手
- 本日はよろしくお願いします。まずは、おふたりのオフシーズンの過ごし方から教えていただけますでしょうか。 ※取材は2015年12月、16年1月の2回に分けて行いました
- 島袋選手(以下島袋)
- 僕は基本的に沖縄で自主トレをしていました。1年目のシーズンが終わったときに、身体の疲れ方が学生の時とは違うと感じていたので、まずは身体を休めることを意識していました。1月になってからはウェイトトレーニングも交えつつ調整しています。それから、もう少し体重を増やすために食事も多めに摂っています。プロに入って初めてのオフでしたが、目的は果たせてうまく過ごせたと思っています。
- 北方選手(以下北方)
- 僕は1月下旬まで長崎でトレーニングをしていました。寒いので、どうしても体力面やウェイトトレーニングが中心のメニューになってきますね。投げ込みはもう少し暖かくなってから本格的にやっていく予定です。今シーズンからお世話になる群馬には2月になってから移動して、3月のキャンプインに備えることになると思います。
- 聞き手
- オフシーズンの間にウイニングボールではトレーニングをされたのですか?
- 島袋
- はい、僕は12月に2日間にかけてレッスンを受けました。
- 聞き手
- 松尾代表はどのような指導を?
- 松尾代表(以下松尾)
- ひとことで言うと投球フォームを改めてチェックしたってところですかね。特に投げ終わってからのフィニッシュの形を意識するように伝えました。
- 島袋
- 今まで投げ終わったときの形というのはそこまで考えていなかったので、また自分としても新しい発見になりましたね。
- 聞き手
- 北方選手がウイニングボールに来られるようになったのはいつ頃からですか?
- 北方
- 僕は昨年の10月くらいからですね。トータルで10?15日くらいかけて、みっちりやらせてもらっています。徐々に調子が良かった頃の身体の使い方を思い出せつつあるので、このままコンディションを上げていきたいと思います。
- 聞き手
- 昨年はホークスの同僚として切磋琢磨し合ったお二人ですが、今シーズンは別の道を歩むことになります
- 北方
- そうですね。群馬で野球を続けるチャンスをもらったので、何とかアピールしていきたいと思います。
- 島袋
- 僕もさらに成長して、一軍でどんどん投げられるようにがんばっていきたいです。
CHAPTER 02.野球を始めたキッカケは?
- 聞き手
- 話題はガラリと変わりますが、皆さんが野球を始めたのはいつだったんですか?
- 島袋
- 僕は小学校2年のときです。友人に誘われたのがキッカケでした。もともと親や親戚もやっていたので、僕の中でも身近なスポーツでした。
- 北方
- 僕も2年生で始めました。僕の地元には野球のチームしかないんです。他のスポーツをやる環境がなかった、田舎なので(笑)
- 松尾
- 僕も2年で始めた。なんだろうねこの偶然は(笑)
- 聞き手
- お二人とも最初から投手をやっていたんですか?
- 島袋
- 最初は外野手からスタートしました。初めて投手をやったのは小学4年の時だったと思います。上の学年の投手がチームを抜けて、投手がいなくなったのがキッカケでした。基本的な投げ方はその頃から変わっていませんね。身体が小さいので「身体全体を使うイメージで投げる」という教えをずっと守っています。
- 北方
- 僕は本格的に投手をやったのは高校に入ってからなんです。
- 島袋
- えっ、知らなかった。
- 北方
- 小学校?中学校時代は遊撃手をメインでやっていました。中学でも2、3番手として投げることはありましたけどね。投手を始めるキッカケになったのは、唐津商高の監督が「うちで投手をやらないか?」と誘ってくれたことです。ずっと投手をやりたいという気持ちがあったので、それで進路も決めました。
- 松尾
- じゃあ、もうあっという間に甲子園って感覚だったんだね。
- 北方
- まあ、たまたまですけどね。だから経験の積み重ねが不足してるなと本当に感じることがあります。
- 聞き手
- 北方選手は県大会をほぼ一人で投げ抜いてチームを甲子園に導いたわけですよね。その時の周囲の盛り上がりはすごかったんじゃないですか?
- 北方
- そうですねえ(笑) 周りからの騒がれ方はすごかったですね。あれからもう数年が経ちましたけど、今でも地元に帰ったら声をかけられるくらいです。
- 聞き手
- そして島袋選手はいわずとしれた春夏連覇の偉業を達成。
- 島袋
- 僕も当時は地元でたまに食事をごちそうになったりしましたね(笑) 野球部のみんなで食事に行ったらお店の方が「お会計はいいから!」と言ってくださることは何度かありました。でも最近はまったくないです(笑)
CHAPTER 03.同じ悩み「イップス」との戦い。
- 聞き手
- 順調に野球人生を歩んでこられたかお二人ですが、その後「イップス」という共通の悩みと戦ってこられた経験をお持ちです。まずは島袋選手から、そのことについてお聞きしたいと思うのですが、悩まされたのは大学の頃ですか?
- 島袋
- はい、大学3年秋ですね。ある試合でバックネットに当たるくらいの暴投をしてしまったんです。今までそんなことはなかったのに…その1球のせいで腕を振って投げるのが怖くなってしまいました。ストライクが入らず四球で走者がたまってしまい…異変に気付いた捕手が、「腕を振って直球を投げてこい!」とサインを出してくれたのですが、その次の球がまたバックネットに当たってしまいました。
結局その試合は暴投だけで3失点してしまい、それ以降は頭が混乱してしまってまともに投げられなかったです。中1日でもう一度、登板のチャンスをもらっても状況は変わりませんでした。 - 聞き手
- 「たった1球」で調子が大きく狂わされてしまったということですね…ご自身でどのように修正しようと取り組まれていたのですか?
- 島袋
- オフの期間に戻そうと思ったんですが、身体に変な感覚が残ってしまってキャッチボールすらまともにできない。「また変なボールを投げちゃうんじゃないか」という恐怖感があったからだと思います。最初にバックネットに当ててしまったボールを「まあ、こんなこともあるか」と受け入れられればよかったのかもしれないけど、「あれ、今のは何だろう…」と引きずってしまったのが良くなかったのかもしれません。今まで経験したこともなかったので、解決する方法もわからなかったです。
- 北方
- わかるわ…
- 聞き手
- 北方選手はどういう経緯だったのですか?
- 北方
- 僕はプロ入り3年目(2014年)ですね。その前年のオフに台湾のウインターリーグで結果を出し、春季キャンプでは一軍でスタートしたんです。しかし、そこでなかなか調子が上がらず、とにかく腕を振って投げようとしているうちにフォームのバランスが悪くなって、制球が乱れてしまったんです。その後は二軍で調整することになり、制球面の課題を克服しようと、首脳陣からの打診もあってサイドスローにも挑戦しました。しかし、サイドスローは自分のものにできず、元のフォームに戻そうとしたんですが、もう以前の感覚がわからなくなってしまい、どうやって投げればいいかわからないという状態でした。
- 聞き手
- 元の状態に戻すために色々と試されたと思うのですが
- 島袋
- OBをはじめ、色々な方が助言をくださって、取り入れようとするんですけどなかなか理解できず苦しみましたね。すごくありがたいことなんですけど…
- 北方
- 僕も色々な方法を試しました。どうすればいいかわからなかったので、当時は何にでも頼るしかありませんでした。あれこれ試して、ダメだったら次…みたいな形で。
- 聞き手
- お二人とも、期待されているからこそ周りもどうにかしたいとアドバイスを送られていたんでしょうね。そんな中で、島袋選手はウイニングボールと出会うことになります。
- 島袋
- はい、大学のチームメイトの紹介で。
- 聞き手
- レッスンを受けようと決意された時のことは覚えていますか?
- 島袋
- はい、当時は「助けてくれるなら誰でもいい、どんな手段でもいい」と思っていました。
- 聞き手
- レッスンを受けてみて、「これで良くなる」という手応えはありましたか?
- 島袋
- 実際にレッスンをやってみても、何をやっているのか最初はよくわからなかったです。でも自分の中にすぐ変化が見られたので、何かのキッカケにはなるかなとは考えていました。
- 聞き手
- 松尾代表は、島袋選手の状態を見て「こうすれば治せる」というのはわかっていたのですか?
- 松尾
- ある程度、悪い部分はわかっていました。ただ、それが彼の身体にどの程度しみついてしまっているかがポイントだなと思っていました。でも2日レッスンをやっただけで球速が戻りましたね。直球が130キロ台にまで落ちていたのが、146キロまで上がりました。
- 島袋
- そのおかげでリーグ戦で1年ぶりに勝利投手にもなれました。
- 松尾
- 試合中にこっそりアドバイスしたこともあったね、ベンチ前でキャッチボールしている間に(笑)
- 島袋
- ありましたね。でも、それまでは試合中におかしくなったら修正ができなかったのに、アドバイスを聞いて戻せるようになっていました。自分の身体と会話しながら、修正する方法が身についていたんだなと実感しました。
- 聞き手
- ドラフトの直前に復調の兆しが見られてよかったですね
- 島袋
- はい、本当によかったです。4年の9月くらいからレッスンを受け始めて、すぐに結果を出すことができました。
- 聞き手
- 松尾代表のレッスンは他とは違うものですか?
- 島袋
- 違いますね。だから最初は「どういうことやるの?きついの?」と少し不安もありました。レッスンを受けた後でも言葉で説明するのは難しいですね。だから、(北方)悠誠にパワーライントレーニングを説明するときも「やってみないとわからない」としか言えなかった(笑)
- 松尾
- それは仕方ないよね。で、その紹介を受けた北方くんが周りに説明するときはどうやって話してるの?
- 北方
- 「やってみないとわからない」ですね(笑) ずっと気になってたんですよ。島袋さん、変なことやってるなって。キャッチボールの前にも体操みたいなのを始めるし。「出た、シマブクロ体操!」なんてからかったりもしていました(笑)
- 聞き手
- そんな北方選手も今はウイニングボールでレッスンを
- 北方
- やっぱり、同じ悩みを持っていた島袋さんがどんどん調子を取り戻していったのを近くで見ていたので…どうやって変わっていったのかすごく気になっていました。松尾さんのレッスンは、今までと考え方が全然違うので、いい時の身体の使い方を少しずつ思い出させてくれています。今まで調子が悪い時は不安な気持ちもあったので色々な方の話を取り入れてきたけど、今は松尾さんの教えに絞り込んで集中して取り組んでいきたいと思っています。
- 聞き手
- ご自身の中で成果は見えていますか?
- 北方
- はい、このオフに一緒に自主トレをしていた元チームメイトの高城(俊人)選手にボールを受けてもらうと「どんどん良くなってる」と言ってもらえましたし、課題のコントロールも改善してきているという手応えがあります。
CHAPTER 04.希望を与えられる存在として。
- 聞き手
- お二人のこれからの目標を聞かせてください
- 北方
- 僕は群馬でチャンスをもらったので、精一杯やりたいと思います。このトレーニングを続けていけば絶対にこのトンネルは抜け出せると思いますし、もう一度ゼロからのスタートという意味で、海外で野球をしたいとも思っています。
- 聞き手
- まだ22歳ですもんね
- 松尾
- 若いなあー(笑) でも、この年齢でこれだけ苦労しているという経験は次にステップアップできた時にきっと大きな財産になると思うよ。
- 島袋
- 僕はずっと一軍で投げられることを目標にしています。昨年の今ごろは自分との戦い、何とか調子を取り戻すのに必死でしたが、今は春からアピールできる状態なので。
- 聞き手
- お二人が活躍すれば、同じような悩みを持った選手たちの励みにもなりますね
- 松尾
- それはあると思います。僕が島袋選手と出会ったときは、本当に何とかしたいと思っていたので。甲子園で春夏連覇を成し遂げたほどの選手が、身体の異変で苦しんでいるのを放っておけなかったですね。
結果を残している選手ほど、悪くなったときも努力する。でも、それがうまく結果に結びつかず、かえって能力を下げてしまうもどかしさがあった。だから、何とかしてあげたいと。
彼は周りに希望を与えられる存在だと思うから、何とか立ち直って復活してほしいと思っていました。 - 聞き手
- 実際に、島袋選手が復活への道を歩み出したことで、身近な北方選手の希望にもなろうとしています。お互いに思うことはありますか?
- 島袋
- 同じ経験や苦しみを味わってきた仲なので頑張ってほしいと思っています。彼も変わりたいと思っているだろうし、いつまた同じステージに立っても負けないようにしたいですね。
- 北方
- 僕も同じですね。一緒にもがき苦しんできて、立ち直っていったのを見て刺激になっています。負けないように頑張りたいですね。
- 聞き手
- 応援しています。本日はありがとうございました!
profile
島袋 洋奨yosuke SHIMABUKURO
1992年10月24日生まれ、沖縄県宜野湾市出身。小学2年の時に野球を始める。興南高では1年からベンチ入りを果たすと、2年春のセンバツで甲子園初出場。3年は主戦投手として甲子園春夏連覇の偉業を達成する。中央大に進学後は1年春からリーグ戦に登板し、大学通算12勝。2014年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから5位指名を受け入団。プロ1年目は三軍での調整からスタートしたものの、順調にステップアップを果たし9月には一軍のマウンドを経験した。172センチ、74キロ。左投左打。
北方 悠誠yujyo KITAGAWA
1994年1月25日生まれ、佐賀県唐津市出身。小学2年の時に野球を始める。当時のポジションは内野手。唐津商高へ進学後、本格的に投手へ転向し頭角を現す。3年夏には主戦として県大会を勝ち抜き、同校を初の甲子園出場へと導く。甲子園では1回戦で13三振を奪い勝利。続く2回戦で敗退するも10奪三振の力投を見せた。2011年のドラフト会議で横浜ベイスターズ(当時)に1位指名され入団。2014年限りで横浜DeNAを退団し、2015年は福岡ソフトバンクホークスに育成枠で入団。2016年は群馬ダイヤモンドペガサスに加入する。180センチ、84キロ。右投右打。
松尾 祐介yusuke MAYSUO
1977年生まれ、千葉県出身。小学2年の時に野球を始めて以降、社会人野球まで進み現役を引退。ケガに悩まされた自身の経験をもとに、「苦しんでいるアスリートを救いたい」という思いから2009年にウイニングボールを設立。身体に関する様々な領域の勉学を重ね、トレーニング・身のこなし、操り方、動きの仕組みを追求することで、自身のケガが激減し、パフォーマンスも向上。パワーライン理論の確立に成功する。これまで、野球を中心にプロ選手の指導実績も多数ある一方、小学生をはじめ若年層の身体づくりにも取り組んでいる。目標は「世界に通用するアスリートを輩出すること」。